1985-06-14 第102回国会 衆議院 文教委員会 第18号
そのことを今ここで具体的にお尋ねしようとするのではありませんけれども、しかしながら、今回のこの広島大学、そして長崎大学、まして長崎大学の医学部といえば「この子を残して」という本を書かれた永井隆博士のこと等を思い出して、私は自分の生まれ故郷でもある、大臣もそうですけれども、それなりに何かノスタルジーを感じますし、そしてむしろすばらしい大学というイメージの方が強いわけで、それがこういう事件の渦中にあるということは
そのことを今ここで具体的にお尋ねしようとするのではありませんけれども、しかしながら、今回のこの広島大学、そして長崎大学、まして長崎大学の医学部といえば「この子を残して」という本を書かれた永井隆博士のこと等を思い出して、私は自分の生まれ故郷でもある、大臣もそうですけれども、それなりに何かノスタルジーを感じますし、そしてむしろすばらしい大学というイメージの方が強いわけで、それがこういう事件の渦中にあるということは
ちょうどザビエル祭の最中でございまして、永井隆博士をお宅にお見舞い申し上げまして、あの二人のお子さんがおりましたが、クレヨンとかかばんとか持ってお見舞いに参りました。
これは婦人朝日の十二月号の二十ページの、悲劇の主役永井隆という見出しで、衆議院特別考査委員会は国家再建功労者として永井隆博士を表膨しようとしておる。一体これほどまで人々を動かしたその著者の本体は何であつたか。浦松佐美太郎という方の著名入りの著書の中に、大体私も同感する記事が載つておりますので、これだけここで申しあげておきます。
○鍛冶委員長 この大会で永井隆博士の「この子を残して」という本について、兒童福祉に関し、優秀にして功績顯著なる作品だとして、厚生大臣から表彰されたそうでありますが、その通りでありますか。
御承知の通り新聞にも出ているところの永井隆博士が、今度は印税が五百万円入るので、これを全部寄付する、こういうのだけれども、ところが四百万円は税金に取られて、そうして残りの百万円のうち、今度は更に税金に取られて、四十万円しか寄付したことにならない、こういうことが出ております。
次に贈與税のことをお聞きしておつたのですが、永井隆博士の例を引いて……。ちよつともう一遍言います。さつきお話ししましたように、現在は税金というような名を付けずして、その実体は税金であるというのが沢山ある。そういうものを賄うために地方自治團体におきましては寄付という形をとつている。
法案の趣旨は、皆様お手元にある資料においておわかりでありましようが、私はこの機会におきまして、長崎の復興、ことに今回國際文化都市として再建、いたしますにつきまして、一言永井隆博士のことについて付言させていただきたいと思います。
この意味におきまして、私は近時洛陽の紙價を高からしめました永井隆博士の近著「長崎の鐘」と文理大小倉教授の「絶後の記録」こそは、全國民必読の書であり、万國語に飜訳さるべき歴史的記録であると思うのであります。我々はまだとかく小銃、機関銃、戰車の立場からものを考えるのに慣れているかのごとくであります。かくのごとき狹隘な観点は当然清算さるべきでありましよう。